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国家的強制力の発露
 半島南北の迷惑な隣人たちも厄介だが、それ以上に厄介なのはこの列島に住む我々自身であったりする。
 北の情報操作は安易にシナリオだ洗脳だと決めつけるくせに、靖国神社に祭られた不幸な人々が押しつけられた価値観を無条件に継承できてしまう現代日本人の不可解な心象は、まったくもって理解不能であると同時に極めて興味深い。他山の石とか隣の芝生とかいわれてきたように、隣は良くも悪くも見えるものだが、この問題については完全に思考停止して自己完結しているところがすごいといえる。
 結論的には、靖国的価値観が国家の強制と誘導の結果にすぎないことは明白であり、それがもたらした不自然な状態は、当時それを信じた人々の心情を忖度してもなお、未来に対する責任として改められるべきである。誤りを認められない国家的、国民的体質は、はっきりいってうざいのである。
| 書いている人 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
金英男氏関連報道
 そもそも北にいる拉致被害者が本音をいえるはずがないことは、会見が行われる前からわかっていたし、メディアもそれは取り上げていたはず。そして、矛盾していようと科学的反証が提示されようと、経済的利益と交換できない状況で北が主張を変える可能性は極めて低く、現状では北が従来の主張を繰り返すに決まっていることは周知の事実であった。
 そもそも今回の一連の動きは国外のニュースである。韓国の拉致被害者家族が北で対面を果たしたというだけの話。日韓の被害者家族の一体的協力がほぼ不可能であると判断された段階で、韓国側の独自の動きは取り上げる意味をほとんど失っていたはず。
 家族会が会見の内容を認めないことを伝えたいのはわかるが、そもそも会見自体を無視していれば反応せずにすんだのではないかとも思えるため、どうもちぐはぐな印象を受ける。彼らに配慮してこうまで大きく取り上げているのだとすれば、結果的に彼らの利益を損なっているのは日本のマスメディア自身ということになりはしないだろうか。
| 書いている人 | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
今さら『白昼の死角』
 いや、今さらなのは光クラブとライブドアを対比して考えようという発想であって、『白昼の死角』が悪いわけでもつまらないわけでもない。それどころか、私は高木彬光の原作も角川映画のもテレビ版のも好きだったな。

 なんてことはいいのだよ。つーかだね、昭和のライブドア事件とか煽るとだね、無知蒙昧なうちのジジイがテレビを占領するからやめてほしいのだよ、日テレ。

 と思っていたのだが、実はすでに隣室はもぬけの殻で、テレビを大音量で放置した老人はすでに寝室で爆睡中とのこと。ふざけんなクソ親父。
| 書いている人 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
生き埋め
 またぞろお馬鹿なゲストコメンテータが戯けたことをほざいている。とくに室井佑月。仮にも作家ではないのかね、きみは。

 生き埋めが絞殺や刺殺より残虐に感じられる心理というのは、要するに被害者への感情移入、つまり被害者の恐怖を推察し、共有することよって成立するものであって、それ自体は決して悪いことではない。しかし加害者の心理を語る上では、そのアプローチは不可である。まったくの的外れで、何時間やっても時間の浪費にしかならないのである。
 この大阪での集団暴行事件に加わった加害者たちは、一致して極めて臆病な態度を示している。これは一見奇妙に見えて、実のところ往々にしてありがちなひとつの光景を、ひとつの心理を、我々に想起させる。ある集団の中で、構成員が他の構成員の顔色を窺ってより過激な行動に走ったり、主導権を握るために掲げた課題に自らも飲み込まれてしまうという、過激宗教団体や某軍事超大国によく見られるものである。出発点の発想は極めて防御的でありながら、それが実際の行動として作用する段階では極めて暴力的になるのである。
 そしてこの手の心理の戦術的局面における顕著な傾向が、極端な遠戦志向である。その時点で入手可能な最も射程の長い兵器に依存する。それが臆病で防御的な心理が到達する最終的な攻撃手段なのである。
 この点、北の弾道ミサイルも流れとしてはこの心理を代表するものに見えなくはないが、彼らには弾道ミサイルで日本を攻撃するメリットは存在せず、中東などへの技術的、政治的なデモンストレーションにはなっても、日本に対する明確な軍事的脅威とはなりえない。戦術的にも戦略的にも工作船のほうがよほど効果的であり、弾道ミサイルを費用対効果の面で考えるなら、日本に対する攻撃兵器としての有効性は、工作船に遠く及ばないのである。したがってこれは、単なる偶然の一致でしかない。
 しかし大阪の事件の場合、彼らは明らかに自らの手で人を殺すことに臆病であり、相手を絞め殺したり刺し殺したりする恐怖から逃れるために、穴を掘って埋めるという挙に出たと考えるのが妥当である。彼らの臆病さ加減からすれば、仮に銃を手にすることができたとしても、目の前で息絶える光景が怖ろしいからというような理由で、やはり埋めたかもしれない。
 そして彼らの論法は、殺される前に殺す、将来の報復で殺される危険を排除するために殺す、という典型的な先制攻撃理論である。
 先制攻撃理論の究極の一例としては米ソ両国のミサイル先制攻撃理論があまりにも有名だが、彼らはそれがクロスカウンターの陥穽に陥ってもなお依然として先制攻撃理論の信奉者であり、アメリカがアフガニスタンやイラクに対して報復に名を借りた先制攻撃をしかけたことは記憶に新しい。相手が現に何かしたかどうかではなく、何かした可能性と何かする可能性を、攻撃の大義名分とする。これが先制攻撃であり、たとえテロ防止、すなわち防衛に名を借りようとも、やっていることは純然たる攻撃であって、決して美しい選択ではないのである。
 にもかかわらず、人はその美しくない選択をあえてする。というより、好んでするのである。人は他人の恐怖よりも自身の恐怖を第一に考えるからである。
 大阪の事件においても、加害者たちの主張によれば、彼らの一部がまず被害者たちに暴行され、その報復が殺人にまでいたったという。つまり彼らは典型的な報復攻撃と先制攻撃の論理構造の枠内で行動していたのである。
 彼らは攻撃され、報復し、それに対する報復を怖れて予防的に戦力根絶を企てた。こう書くと、大阪の事件の加害者の話かアメリカの話か見分けがつかないが、要するにそれほどまでにステレオタイプな発想、手順に沿った事件であるわけで、想像を絶した残虐性の発露などとはまったく無縁な日常的防御反応の延長線上で語られるべき問題なのである。

 こういう事件に対して、信じられない、などと安易に述べてはならない。人の可能性は明るい面ばかりに向けられているとは限らないのである。
| 書いている人 | 17:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
川合伸旺さん死去
 ご家老様であり、お奉行様であり、お代官様であり、ときには町の顔役のなんたら親分でもあった川合伸旺さんが亡くなった。
 一時期の濃すぎる時代劇の主成分のおひとりであられ、それにちょっと辟易していたことがあったのは間違いないが、昨今の軽々しすぎ、薄っぺらすぎる時代劇(ついでにいえば、ビデオ収録のせいで明るすぎ)に比べると、やはり重厚な頃のほうがよかったよな〜っと思ってしまう。そして、そう思ったときにはすでに手遅れなのだな。
| 書いている人 | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
『功名が辻』第25回
 なんとなく予期していた通り、前回よりも数段ましな内容。これで市の能書きや秀吉と官兵衛のやり取りがなければ、初期のテイストに近い水準でまとまっていたことだろう。まだでしゃばりすぎている歴史概況を背景情報レベルにまとめられれば、非常にバランスの取れた印象を視聴者に与えられたはずである。実に惜しい。
 それにしても、市が滅亡を意識しすぎているのが気になってしかたがない。勝家に戦略を諫言したり、当時の情勢でそこまで見通せるわけがないってことを口走るので、何もんだお前的な非常に困った印象となっている。
| 書いている人 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
『功名が辻』第24回
 本放送は食事の支度などの合間にちょっと「見た」程度で、それも途中で出かけてしまったので、まともに観たのはまたしても再放送。
 脚本家が勘違いしていて演出家が馬鹿なのか、それとも演出家が勘違いしていて脚本家が馬鹿なのか、とにもかくにもただただ酷いの一語。もの凄まじい出来とはこのことであろうか。
 たしかにこの頃から一豊も山内家も影が薄くなるのは事実だが、ストーリー的にそれが困るからといって、無理矢理登場シーンをでっち上げることはないだろう。むしろこのあたりは、歴史的事実を背景情報としてさらっと流し、ホームドラマ的に処理してしまうべきところ。それを、できもしない癖に下手な政治ドラマを繰り広げ、揚げ句にすぐボロを出すなど噴飯ものである。
 全体としての情報にこだわる余り、肝心の一豊夫妻と家臣たちの物語に嘘と辻褄合わせのしわ寄せがきているようでは、せっかくの原作が泣くというものである。歴史的事実としては間違いがほぼ確定している内容でも、勢いで最後まで読ませてしまう司馬遼太郎の手法を、演出家も脚本家も未だにまったく理解できていない証拠というしかない。
| 書いている人 | 18:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
『サハラに舞う羽根』
 あまりにも芸がないというか、見え見えの記事数稼ぎが見苦しいので、全面改稿(笑)。

 昨夕、テレビ東京で放映していたので観る。予想通りというかなんというか、英国古典にありがちな支離滅裂な展開だったが、方陣を巡る戦闘シーンは中々にけっこう。欧米の作品はこういう映像的プライオリティの高さがあるので、ストーリーがダメでも一定の鑑賞に堪えてしまうところがすごい。
 にしても、なんつー話だろねー、これ。同時代の英国人には『プラトーン』的衝撃を与えたスーダン戦挿話の典型なのかもしれないが、その後の凄惨な戦争の数々を知ってしまった現代人には、いささか屁温い印象しか残らないだろうに。何度目かのリメイクなんだから、そういう事情を考慮して何か有名な事件に重ねてみるとか、もう一工夫あってよかったのかもしれないな。
 もっとも、これが日本映画なら、まったく逆のコメントになっていたことは間違いなく、ストーリーを捻る前に映像面での考証をなんとかせい、ということになっていたに違いない。それはそれで情けないなあ。
| 書いている人 | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
1割ロスト
 昨年6月に始まった13歳未満への性犯罪者の出所後の所在を確認する制度だが、この1年間で対象者156人中の14人が所在不明なのだそうだ。およそ1割を多いと考えるか少ないと考えるか、人によって意見は分かれるだろうが、世の中、完璧はありえない、という点に関してはまず異論はあるまい。しかも網から漏れる魚に限って狡猾だったりする。
 しつこいようだが、私は死刑反対論者である。なので、禁固の刑期が軽いのはいかがなものかと思うが、そういった直接的な量刑以外に、この制度のような間接的抑止効果が期待できる仕組みをより充実させることも必要だろう。本人の所在報告を一定期間義務付け、執行猶予期間に準拠したペナルティを科すとか、方法はいろいろ考えられる。故意に所在をくらましたら実名を公開するくらいのことは、制度としてあってもOKだと思うぞ。
| 書いている人 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
死刑と有期刑の間
 自慢ではないが、私は死刑反対論者である。なぜなら、死刑はしょせん一瞬の恐怖でしかないからである。
 自分の身内が殺されたら、私は殺したヤツを生涯拘束し、社会から得られるであろうあらゆる恩恵を剥奪し、死ぬまで後悔と絶望で苦しめてやりたいと思うだろう(あくまでも予想である)。よって、死刑などという安易な逃げ道は残してほしくない。簡単に死なれては、怒りの持って行きどころがなくなるから、勘弁してほしい。毎年、刑務所に喪中ハガキを送ってやれば、少しは気が晴れるかもしれないから、その相手を消し去ってほしくないのである(実際にそれをやる根気が続くかどうかは別として)。

 そのためにも、無期懲役の廃止と有期刑の累積適用は大至急実現してほしい。死刑と有期刑の間の曖昧な刑期ではなく、懲役500年とか、どう恩赦が重なっても、大赦があっても、絶対に出てこれないような刑が科される時代がくることを、私は願っているのであった。
 あ、もちろん刑務所の中には、死よりも辛いこの世の地獄を用意しておいてほしい。まったく無意味なことを延々と繰り返すとか、一日分の成果を寝る前にすべて廃棄されてしまうとか、でもってそれでもきちんと日課をこなすことを要求されるような、そういう苦しくて空虚な世界を用意してほしいのである。刑務所にやりがいなど論外。死にたい気分で死ぬまで暮らしてくれ。
| 書いている人 | 02:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

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