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『天地人』第4回
 オープニングのナレーションで兼続が謙信イズムの正統後継者みたいなことを言ってましたが、なにかの冗談でしょうかね。失笑ものですよ、これ。
 さて……。
 全体としてはどうでもいいんですが、ポイントで気になったのは、やはり上杉景虎の越中での活躍云々でしょう。景虎と関東軍役衆はセットで北陸の軍役を除外されていた可能性が高く、というよりほぼ間違いなく出陣していないはずで、しかもそのへんが景虎と景勝の対立を構造的に不可避のものにしていたこともあるので、この先に大きな期待は持てないなあ、と落胆したふりをしてみたりするわけですよ。
| 書いている人 | 11:58 | comments(0) | trackbacks(1) |
午後イチ
 に原稿を送る約束で、16時17分に送信。どんな午後イチだよ、と自分で突っ込みたいくらい申し訳ない気分で一杯ですが、体感的にはホントに午後イチだから困ります。
 さて、昼飯作って食わねば。
| 書いている人 | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
別人二十面相
 細かい原稿をさっさと上げてしまおうと、3本目を送ったところでメシ食って4本目に着手したのですが、なぜかこれまでの3本とは完全に別の人の文章に……。料理して食ってる間に別人格が降りてしまったんですかね。
 しかたないので、2枚書いたところで作業継続を断念。現在、リセット中です。てゆーか、400字詰6枚強の原稿なので、一度寝て早起きしたほうがよいのかも。
| 書いている人 | 02:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
『天地人』第3回
 早くもすっげー面倒くせえとか思ってますが、まあいいっす。

 さて、今回は天正元年(1573)に14歳(爆)の兼続と19歳(^_^;の景勝がドタバタするというお話でしたが、ずうたいのでかい本当は小兵のはずの景勝とは対照的に、本当は大兵の兼続が相対的に小柄なので、なんとなくチマチマした印象でした。このままコメディー路線まっしぐらですかね。まあいいけど。
 で、高坂弾正が川中島をうろついていたから信玄が死んだという兼続の推測ですが、弾正は信玄の上洛に同行しておらず、海津城で上杉家の動きを警戒する役目を果たしていました。つまり、いて当然のところにいただけの話。信玄が死んだという推測の根拠にはならんでしょう。
 もっと変だったのは、信長が天下を取るのは信玄だと思ったが違ったなどと、意味不明というか支離滅裂というか、とち狂ったことをゆーとったことでしょう。らしくねえとかいう以前に、そんなことをいう理由を説明していないような気が。唐突で話が繋がってないです。
 話が繋がらないといえば、三郎景虎が登場したのに、景勝の姉とその旦那の上条上杉政繁がまったく登場する気配がないですね。すぐに死んじゃう柿崎晴家とか出すくらいなら、政繁とか上杉景信とか出したほうがいいような気が。
 あと、上杉憲政さんも出てないですよね。来週あたり出るといいんですけどね。
| 書いている人 | 21:35 | comments(0) | trackbacks(1) |
『天地人』第2回
 相変わらずキャスティングのみで引っ張る展開が続いており、なおかつ相変わらず演出的にどうよな部分も散見されますが、そこらへんは笑って流しておしまいです。

 さて、景勝が生まれた上田長尾家については、越後長尾一族と同祖という説と、越後長尾一族の本家筋である上野長尾一族の白井長尾家から越後系とは別に分かれたという説がありますが、そんなこたあ景勝の時点ではどっちでも大差ないというか、当時あまり重視されていなかったし、そういう説もあるけどNHKは無視するらしいという程度のお話。
 で、もう少し重要なのは、輝虎さんが喜平次をいつ養子にしたのか、という点についての設定上の矛盾です。というのも、喜平次が輝虎の養子になったのは永祿二年(1559)のこととされており、したがって喜平次がまだ卯松、輝虎がまだ長尾景虎だった頃のことになるからです。
 実のところ、長尾政景の次男である喜平次は父と兄が存命中に輝虎の養子となった可能性が高いのではないか、と私は推定しており、そう考えるなら喜平次は上杉輝虎の養子ではなく、あくまでも府中長尾家の継嗣であったことになります。政景の死でいくぶん立場に変化が出たであろうことは間違いないと思いますが、より重要な変化は兄の死によって生じたはずであり、このあたりの微妙な人間関係と家臣団の席次などに対する影響の大きさを、大河ドラマの制約内で過不足なく描くのは非常に難しいでしょう。なので、こういう話がスルーされるのは至極もっともであり、その点でどうこう批判するつもりはないですが、喜平次を政景の死後に輝虎の養子にするという操作は、おそらく原作ではそれなりに効果があったであろうと想像されるものの、ドラマではほとんど意味がない、というか効果が出ていない気がします。てゆーか、かえって話がややこしげに見えてしまっているような……。
 ちなみに、喜平次の諱は顕景で、上杉名字の使用と景勝への改名は天正三年(1575)1月以降である可能性が高く、したがって天正元年(1573)の時点ではまだ景勝でも上杉でもなかったと思われます。

 もう少しドラマ本編の内容に関連した何かを付け加えようかと思って保存しておいたものの、忙しくて結局なにも思いつかなかったので、再放送が始まる前に公開することにしました。
| 書いている人 | 15:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
『天地人』第1回
 とうとう始まっちゃいましたね、今年も。
 苦行になると大変なので、今年は最初から肩の力を抜いて脱力系でいきます。そう決めました。細かいことは書きたいときにあくまでも書きたい範囲で書きます。脚本がどうだとか、演出がどうこうとか、そういうことも原則として書きません。
 なぜなら、大河ドラマは歴史ドラマではないからです。
 歴史フレーバードラマ、これが大河ドラマです。カニ風味カマボコがカニじゃないのといっしょで、あくまでもフレーバーとして歴史の風味が効かせてあるドラマと定義できるわけです。ちなみに民放はいまだにこの水準にすら到達しておらず、このジャンルではNHKが事実上の独占企業として君臨してますね。民放各局にはがんばってほしいものです。

 なんてことはともかく、初回の『天地人』ですが、子役がちょっと可愛すぎじゃないっすかね。卑怯な手を使ってきたもんだと感心してしまいました。
 でもって、謙信強そうすぎ。『戦国無双』ですか(笑)。あ、そうそう、珍しく輝虎になっていましたね。たしかに謙信の法号を使うのはもう少し後ですが、このへんは原作がこだわっていたのか、考証の先生方が粘られたのか、いずれにしてもスタッフロールに上杉輝虎と記されたのは非常に珍しいことです。もしかして初めてですかね。
 ところで、例によって距離感がまったくつかめない演出になっていましたが、仙桃院さんは府内(春日山)と上田庄をかなり頻繁に移動しています。これじゃ近所じゃん、みたいな(笑)。
 正直なところ、細かいことを指摘しだしたらこんなものじゃすまないですが、今年は先述の理由でやめます。
| 書いている人 | 22:11 | comments(1) | trackbacks(1) |
永作博美
 あけましておめでとうございます。なんとなく正月休み状態ですが、とりあえず正式な原稿依頼が送達されたりなんかして、仕事始めも目前かという雰囲気の中、テレビを観て堕落しております、ええ。
 でもって、表題の件。今までこれといって感慨のなかった女優ですが、眼鏡かけたら俄然カワイイので宗旨替えしました。実によろしい。
| 書いている人 | 22:41 | comments(2) | trackbacks(0) |

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