ひさしぶりに当日書いてしまいますですよ。
手取川で「激しい雨」を利用して大勝した上杉勢。でも、雨除けが役に立たないほどの雨には見えませんでしたが。それに、追撃しない上杉勢を不思議がっているように描いていましたが、織田勢の後退を阻んだ増水は、同じように上杉勢の進撃も阻むわけで、そういう意味ではちっとも不思議じゃないですが。
そういえば、秀吉ってこの時期は蟄居してませんかね。信長のそばで小姓の真似事をしていましたが。もしかして、長浜で宴会するかわりに出張ホストですかね。
さて、年が変わって天正6年、謙信はちょっとふらついたりしていましたが、3月になっても相変わらず元気ですね。実際には、2月中旬には遠出が不可能な病状となっていたはずですが。しかも、倒れたのは厠じゃなくて毘沙門堂(洞)。厠はイメージダウンだから避けたいってことですかね。
書くのを忘れていたので追加。
織田勢の鉄炮を3000挺とか言っていましたが、兵力が3万ならそのくらいあっても不思議ではないでしょう。だからそれはどうでもよいのですが、問題なのは上杉勢の人数。1万3000人しかいなかったことになっていましたね。さすがに半分以下だと勝てないと思いますが。それに七尾城を囲んだ兵力がすでにもっと多かったような気がしますが。なおかつ、例によって景虎以下いないはずの人たちが大勢参加してその人数ですか?みたいな疑問が非常に強い設定なんですけど。
ところで、柿崎晴家が参加していたようですが、晴家は天正5年に信長への内通を疑われて処刑されたとか、同じ時期に病死したとか、いろいろと説がある人です。「柿崎系図」に天正6年没とあるのを採用したんでしょうかね。私はこの天正6年説を支持しているので、それ自体に異論があるわけではないですが、全体に不合理な設定が多い中、唐突に合理的な解釈を差し挟まれると、かえって違和感があるんですが……。
兼続は前回から引き続き蟄居中とのことですが、北高全祝に預けられた形になっているようで、しかも全祝の判断で出入り自由みたいな様子。どうせ作り話だからどうでもよいことですが、普通の蟄居とはかなり違うようです。
ま、それはそれとして、上杉景虎は相変わらず越中に出陣していますね。このまま最後まで行っちゃいそうですが、そうなると御館の乱での派閥分けから組織論的裏付けが失われてしまう気がするんですけど。
で、直江景綱が死没。
直江家は府内長尾家の直属家臣でも比較的早い段階で城主化していますが、分類上は三条城代の山吉家(直江家と並ぶ府内長尾家直属の重臣)や栃尾城代の本庄家(古志長尾家譜代から謙信の譜代衆に昇格)と同じ譜代衆に属していました。これに山本圭さんの吉江家などが加わって譜代の馬廻衆(謙信の親衛部隊)を形成していたわけで、景綱と本庄宗緩(大河ではスルーされている人)の死は御館の乱での馬廻衆の分裂抗争に小さくない影響を及ぼしていると考えられるのですが、そのへんにはたぶんまったく触れないんでしょうな。
そういえば、能登七尾の開城時に謙信は畠山家の遺児を連れ帰っているはずですが、それもスルー。上条政繁はどこまでも無視されてしまうんですかねえ。
再放送を観ることができれば、もう少し何か書くでしょう。
2/22
つづき書きました。→『上杉謙信によろしく』(『天地人』)第7回のつづき
ので、以下は予告の感想です。
正直な話、なぜこういう設定にしたがるのかさっぱりわかりませんが、もしかしたら兼続は戦下手ということで押し通すつもりですかね。兼続の戦下手(というより攻撃下手)は私にとってはかなり自明ですが、一般論としては非常にひねくれた解釈ですし、なにより臆病というのは戦下手とイコールになりません。
逆に、臆病だから周到で入念な戦上手になった、という流れを想定している可能性もあります。実際に観ていない(原作も読んでいない)ので、あるいはこの流れに重大な支障をきたすような展開であったかもしれず、あくまでも仮説としてはそんなのもありうるかという程度ですが。
そんなわけで、予告は非常にマイナスイメージが強い作りになっていたと思います。いくら現代的価値観に偏向しがちなTV業界にしても、程度というものがあります。某民放の某医療ドラマ(深夜枠で再放送している漫画原作のあれ)でヘタレ馬鹿研修医を演じた妻夫木だけに、印象がダブって甚だしく気持ち悪いです。
八つ当たりでさらに追加。
この嫌な雰囲気が第7回以降も続くようなら、タイトルは『天地人』ではなく『上杉謙信によろしく』と呼称することにします。ふざけんなNHK。
薄らいだ中でなぜか印象に残っているのが、兼続が信長に拝謁した物置みたいな部屋。対面自体は嘘っぱちなので、兼続の外交音痴っぷりは伏線か?みたいな突っ込みはしても無意味だと思いますが、フルプレートアーマーが鎮座ましましていたのは非常に気になりました。
フルプレートアーマーは完全なオーダーメイドで、ちょっとでも寸法が合わなければ着用できませんから、贈答品の場合でも事前に採寸して工房に発注しなければなりません。しかも、16世紀後半には実用品ではなくなりつつありました。大層重くて息苦しい割に、その苦行と引き換えに得られるのはちょっとした見栄えのよさだけで、銃弾に対して十分な防備にはならなかったからです。
なので、そんな物を手間暇かけてヨーロッパから取り寄せ、信長に進呈するというのは、コスト面でまったくメリットがないと思うわけです。
実際、現存する南蛮具足は、おそらく胸甲(胴の部分)と兜(フルフェイスではない椎の実型のやつ)を改造したものと考えられ、フルプレートアーマーをばらして使ったとは思えない形状をしています。
もらう信長にしても、非実用的なフルプレートアーマーなどをもらうより、同じ値段で西洋馬(アラブ種とかがメインだったようですが)を買えるだけ買ってきてくれたほうがよほど喜んだでしょう。
というわけで、ちょっとありえねえ光景だったので、印象に残りました。
ほかにもごちゃごちゃとやっていたようですが、全部フィクションだから笑って流しました。
なんて猫みたいな戯言を書いている場合ではないのですよ。畑違いというよりは陸と海ほども違う企画をとっとと進めないといかんです。陸の原稿と平行して海のラフ20枚は1日では絶対に不可能なので、毎日3枚ずつ1週間で終わらせるです。しかもなおかつ、海にも原稿は必要だったりするわけです。ラフ1枚に原稿用紙1枚くらいの見当ですかね、均すと。
で、脱線しまくった揚げ句、ようやく本題。
赤がかなり入った校正の確認を求められたのですが、正直な話、行数調整がそこまで甘い赤を入れてよいのなら一昨日の段階で自分で入れていましたが……みたいな内容だったので、ちょっとびっくりしました。編集の赤が多くても日本語として変じゃなければ別に気にしませんが、行数調整ができていないのは性格的に非常に気になります。小見出し前に空行が余分に入ったりするのはどうよ、と思ったりするわけですが、最近の若い編集者は気にならないんですかね。見たところ2行減が2ヶ所もあったんですけど。
ま、大丈夫というからあっさりOK出しちゃいましたが、間に入って防壁になってくださっていた方には申し訳なかったような。ごめんなさい。
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